※当記事は2020年12月22日に note からはてなブログに移転しました。
10月2日
冷凍の枝豆がけっこう美味しいのでたまに買って食べている。シリコンスチーマーを使って、一部のサヤにしわがよるくらいレンチンして食べるのが好き。
北海道産とかのちょっと値段がするのと、外国産の安いのを食べ比べてみたけど味の違いが分からなかったのでいつも安い方を買っている。下手したら市販されてる国産の生の枝豆よりも美味しい。1kgで400円しないって安すぎない?
枝豆といえば今年は家庭菜園で枝豆を作ってみたら、家庭菜園のくせにかなり美味しい枝豆ができて驚いた。美味しい野菜って何か特別な栽培をしていると思ってた。スーパーで買った生の枝豆よりも美味しかった。
枝豆は間引きと摘心だけすればあとは放置しているだけでできるのも良い。なぜか虫もつかなかった。枝豆が少しずつ膨らんでいく様子を見るのはワクワクした。
ちなみに枝豆は好きだけどずんだは苦手。枝豆+塩味は好きだけど、枝豆+甘味はダメなんだなー。ずんだが苦手すぎて枝豆も食べられなくなるかと思いきや、全然そんなことなかったので、甘い味付けがダメなだけだったんだな。ちょっと安心した。
ニトリのNクールダブルスーパーの敷きパッド、ひっくり返すと接触冷感でなくなるのでひっくり返した。
そういえば夏以外も使いたくてひっくり返して使えるタイプを買ったのをすっかり忘れていた。
10月3日
今日思ったこと。異常に執着したり長年心に引っかかったりしている何かやりたいことがあるなら、さっさとやってしまったほうが自分の世界は広がる。
というまとめに至るまでにつらつら書いていたまとまっていない文章が以下だ。とりあえず載せておく。
「A がしたい」という風に何かをしたいと思ったらどんどんやっていったほうが良いと思っている。
それが達成できたら次は「B がしたい」って思うようになるし、それは「欲望にはキリがない」とネガティブに言われることもあるけれど、私はもっとポジティブなことなんじゃないかと思う。
「A がしたい」がずっとできないままでいると、その間は A に執着してしまって先に進めない。A をやってみたら意外に良くなかったり逆にすごく良い思い出になったりする。そうすれば A への異常な執着から解放され、これまで A に向けていたエネルギーが別の物事に向けられるようになる。
例えばだけど、私はクリスマスの時期にスーパーに並ぶ、戦隊ものやプリキュアやポケモンのお菓子入りボックスとか靴下とかが昔はすごくほしかった。数年経っても手に入れることはなく、その間はすごくほしいままだった。だけどそのあと数回プレゼントされてその欲求が解消された今では、もうほしいとは全然思わない。
今ではなんであんなものをほしがったんだろうと呆れてしまうくらいだけど、まだあれをほしい人や過去の自分の気持ちを軽く扱いたくないので黙っておく。黙れてないけど。
まだ自分のものにしたことがなかったら、いまだにクリスマスの時期になったらあの素敵ボックスが目に入るたびに物欲しそうに眺めてしまっていたかもしれない。
あとは花火。
友人たちと手持ち花火をする、というのが憧れだったけれど、数回やったらもう楽しくなくなってしまった。むしろ面倒にすら感じる。手持ち花火って何が楽しいんだろう…あれほど見せかけの憧れ力(?)が強いわりに実際はどうってことない、みたいな活動はそうそうない気がする。
花火の実績解除をまだしていない人は意外に多くて、その人たちは花火をやりたがるので付き合うのが面倒だ。花火はもう楽しめなくても、友人と何かしらの遊びを共にするのは楽しそうなので参加してしまうのだけれど。
ゲームの実績解除(トロフィーゲット)とちょっと似てるな、と思った。
実績は解除されるまでは執着して、達成できたらとても嬉しくて、その後はその実績のことなんて忘れてしまう。そして次の実績を狙っていく。
自分の興味のない分野であれば知らないうちに実績解除していることもある。
そうやって実績を解除していくうちにどんどんプレイヤー自身の経験値が貯まっていくのだ。
そう考えると、やりたいことをどんどんやっていって、その結果として新たにやりたいことがどんどん増えるのは悪いことじゃないし、むしろ経験値が貯まることによって視野が広がり人生が豊かになっていくので良いことだと思った。