6月27日
数日前から Android の Evernote アプリでノートを開いたときに、「閲覧のみ」表示が出て編集できないことがあって困る。
そうなるときとならないときがあって、なってしまったときはノートを何度か開き直すと直る。
以前までお気に入りだったアニソンやキャラソンを聴く気になれないのは、単純に聴きすぎて飽きたというのもあるだろうけれど、そのアニメのキャラクターたちのようにハッピーな気分ではないからかもしれない。
私の作業 BGM との付き合い方について気付いたこと。
単純作業をするときに作業 BGM をかけることが多い。意識があちこちに飛んでいって頭がいっぱいにならないように、作業 BGM をかけることでワーキングメモリの一部が使われるようにしているのかもしれない。これは無意識でやっていた。
逆に、集中したいときに BGM があると気が散ってしまう。それはそもそも私があちこちに注意がいきやすい性質だからだと思う。だからこそ さっきの手が使えるのだろう。
ADHD の症状に効く薬があればこの注意散漫がどうにかなると思ったんだけれど、残念ながら ADHD だと診断されなかった。どういう基準なんだろう。日常生活で問題が生じているのにな。
ゲームをやっていると現実から離れられるから好きだ。現実が疎かになっているということなので、諸刃の剣ではある。
アル中カラカラ(wawawa)さんの動画を観て味の素に興味を持ったので、買ってきて今日初めて使ってみた。かけなかったときとの違いはよく分からない。かけることで美味しくなっている気もする。継続して使ってみよう。
食べ物の添加物を避ける家に生まれたからか、味の素には退廃的なイメージを勝手に持っているので、使うだけで楽しい。お酒とか薬とか、退廃的なものには惹かれてしまう。ラードにもそんなイメージがある。ラードは自分で使ったことはないけれど、カップ麺に入れると美味しいみたいな話を聞いて一時期気になっていた。
YouTube でおもちゃの動画を観るのが楽しい。私も昔からおもちゃが好きなんだけれど、遊ぶ場所も相手もないし、捨てたい病ですぐに捨ててしまうので、なかなかおもちゃを手にできない。こういう動画でおもちゃ欲をある程度 満たせるのはありがたい。観ていると欲しくなる(悪化しているじゃないか)。
完成していたとしてもブログ記事が下書きのままだとモヤモヤするけれど、アップするとスッキリするのは不思議だ。アップすると自分の手から離れて解放される気がするし、日記のような軽い内容の場合は、もうその内容に責任を持たなくてよくなるというのが良い。人はどんどん変わっていくものなので、過去の自分が考えていたことは今の自分とはあまり関係がないと思っている。
SSRI の量をもっとどっちゃり増やしてもらって、意識や感情を鈍感にしたいのだけれど、そういうことを言うと薬をもらえなくなりそうなので大人しくしている。先生としては基本的に薬は使いたくないものなんだろうか。
今の量だと、薬を飲み始める以前と状態が全然変わらないので困っている。もしかしたら微量の変化は出ているかもしれないし、不安の強く出る場所に行けばもっと効果を自覚できるのかもしれない。
精神科を受診する前は薬に劇的な効果を期待していたけれど、またいつものように期待しすぎていたのかもしれない。薬の量が増えれば楽になれるんだろうか。それとも薬の力には限界があって、諦めるしかないのか。その判断はまだ早いと思うから、もう少し待ってみよう。
Android『テント・アンド・ツリー』で10×10マスの面をやっていると、自分の指でマスが隠れて見にくかったり誤タップをしてしまったりするので、潮時かなあと思う。操作性が悪いと、パズルを解く気持ち良さよりもストレスのほうが勝ってしまう。
今回のプレイでは、過去に断念したときのデータが残っていなかったので最初から始めたのだけれど、以前より進めたのは良かった。
『テント・アンド・ツリー』や『ピクロス』のように、あまり考えずに無心でできるパズルゲームは瞑想っぽさがあって落ち着くんだよな。ひとつは常備しておきたい。
そして私はコンプリートする楽しみというか欲が強い人間なので、同じ問題を何度もクリアするんじゃなくて、どんどん新しい問題を解いて、その進捗を見てニヤニヤしたいので、どんどん新しいゲームが必要になる。
【今日やった】
新しいこと:○