3月11日 社会の歯車にならなければ

3月11日

食事の面倒さを軽減するために、パックご飯を箱買いした。ファンケルの発芽米ごはんだ。

ファンケルの発芽米は、肉体労働に従事していた頃に好んで食べていて、主なエネルギー源となってくれていた。そのときはパックご飯ではなく、自分で炊飯して食べていた。独特の香ばしさのようなものがあって好きなんだよな。パックご飯になってもその風味は変わっていないように思える。良かった。

 

自分には何もできないんだな、と思う。ゼロヒャク思考なんだろうけれど。

体つきや運動能力は遺伝だ。今までのいろんな大事な選択も、「他人に言われるままにする」か「逃げる」をやった結果なんじゃないだろうか。今 生きているのも、精神科に通えているのも、今の仕事に就けているのもそうだ。私がダメダメになっているところに、他人が「こっちですよ」と言って引っ張ってくれたおかげだ。

自分で選んだことは、たいていうまくいっていないように感じる。進学する高校や大学も、部活動の選択も間違えた。間違えたのではなく、どこに行ってもうまくいかなかっただけか。

自分では何も成しえていない。何かを成さなければならない、という考えを持つことが間違っているのかもしれない。何者にもなれないことを受け入れて、淡々と生きていければいいのだろうか。理想の自分の存在が苦しい。人間として、社会人として、もっとちゃんとしなければ、と思う。兄弟の助けがなくても生きていけるようにならないといけない。ただ生きるだけでは足りない。国が支援してくれるのは、その後に社会復帰をして国に税金を納めることを期待しているからなのだから、それに応えなければいけない。いつまでも甘えていないで、社会の歯車にならなければ。

私が今 勤めている会社は、私が最低限のやることしかできていなくても人並みの給料を支払ってくれているのがすごい。

 

ずっと寝ていたいけれど仕事は待ってくれない。仕事を頑張らなければ、と思うのに、体がついてこない。しかしそんなのは知ったことか、仕事があるのだから、頓服の抗不安薬を飲んで出勤する。

 

私がどのように世界を歪めて見ているのか、という情報には価値を感じない。中二病ノートではなくて、実際にあったことを書きたい。変化したこととか、できるようになったこととか、新しく体験したこととか。

 

今は『マンガワン』で『薬屋のひとりごと』を読むのが楽しくて、毎日の更新時間が待ち遠しい。『マンガワン』を読む、というささやかな楽しみが、日々を生きるための力の一部になっている。