今月のこと
- 栄養調整食品にハマっていた。ライトミールブランサンドが安くて美味しくて良い。
- ジャンボリミッキーの振り付けを覚えて、ディズニーシーで踊った。一緒に行った人に「楽しそうだった」と言われたから、とても楽しんでいたようだ。
- 精神のひどい落ち込みがあった。
- Evernote に書いている日記のとある日の内容が面白い。
最初の行「何もする気がしない。」
次の行「なんもしなかった! いえーい!」 - YouTube で、モノを制作したり修理したりする動画を観るのが癒やしだった。
- Evernote に書いている日記のとある日の内容が面白い。
以下はたぶんブログには書いていないこと。
- 不要だと伝えているのにプレゼントを贈ってくる人がいる。どうせなら Amazon ギフト券のほうが嬉しいのにな、と毎回思っている。私はサプライズが好きではないし、体質的に食べられるものが限られているから、ちゃんとヒアリングしてほしい。思いやりの気持ちで行ったことだとしても、相手にストレスをかけてしまうのでは、ただの自己満足だろう。反面教師にしている。贈り主の気分を害したくなくて、直接不満を伝えられずにここで愚痴っている自分も良くない。
プレゼントをもらって喜んだことがほとんどない気がする。忘れた頃に見返りを要求されるのが不快だ。どうしてもコスパを考えてしまって、プレゼントの額と同等かそれ以上に喜べないことに罪悪感を感じる。いらないものをもらうと処分に困る。
もう極端に、プレゼントはギフト券以外は受け取らないアピールをしたら良いのだろうか。そういう人だと思ってもらえたら楽だなあ。私はほしいものは自分で買う。
- 「どういうときに愛されていると感じるか」という質問を受けた。私の場合は「私に時間をかけてくれたとき」だ。これは昔から変わっていない。たとえば一緒にどこかに行ってくれるとか、離れているときに私の好きなものが目に入ったことを報告してくれるとか。
逆に愛だと感じないのは、私にお金をかけることだ。単純に相手の負担になるのが嫌なのと、十分に喜べない自分に罪悪感を感じるのが嫌だからだ。そこに愛があったとしても、嫌なことをされるのは許せない。お金をかけられると、逆に自分が軽んじられているように感じるのはなぜだろうか。必要なお金を稼ぐために働いて、私のために時間を使っている、とも考えられるというのに。
あとは、私のことを理解してくれていると感じられたときも嬉しい。私は本当に面倒くさい性格だし、考えていることを口にしないから、理解されにくい。というか私に限らず、他人を理解するのなんてほとんど誰もできないんだろう。だからこそ、よくここまで手間をかけてくれて、理解してくれましたね、と感動する。
- 「自分がしゃべることで他人を不快にさせる」「自分の言葉は誰も求めていない」という経験を重ねてきたから、しゃべることに抵抗がある。しかし最近は、思ったことをなるべくしゃべろうと努力している。
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触れたコンテンツ
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- 今月遊んだゲーム
- ネコ・トモ スマイルましまし(Switch)
- Pikmin Bloom(Android)
- ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし(Nintendo Switch Online)
- マリオ&ルイージRPG(Nintendo Switch Online)
- 囚われのパルマ デラックス エディション(Switch)
- 完走したアニメ:なし
- 観た映画:1作品
- 読んだ本:読了→5冊、読了本以外で手に取った→12冊
- 読んだ漫画:なし
*1:累計1時間以上プレイした作品のみをカウントする。ただし1時間未満でクリアしてしまった作品も含む。