1月19日 ASDという重荷

1月19日

数日前から背中が痛い。

 

開店直後のいなげやに行った。目当ての「偉大なおむすび」がまだ置いていなくてショックを受ける。何も買わずにお店を出た。

 

せっかくの休日なのに外に出る気がしなくて、時間をムダに過ごしているように感じる。本当は行きたいところがあったはずなんだけれど、「そこに行く意味はあるのか」と考えてしまって動けない。何かしないと、という焦りのような気持ちが強くて、少しでも紛らわすために部屋を掃除した。

外に行くきっかけを得るための道具として『冬ぴあ』が気になり、Amazon で検索したら Kindle Unlimited の対象だったから読んだ。読みながら、なんかこういうアクティビティ!!みたいなのとは違うことがしたいんだよな、とか思ってしまって、役に立てることができなかった。

私はいろんなアクティビティをあまり楽しむことができない。誰かと一緒にやって、やっとほんの少しだけ楽しい、みたいな感じだ。だから観光だけでなく、外食すらも一人ではほとんどしない。私は何をしたら満足なんだろうな。

 

『旦那さんはアスペルガー 奥さんはカサンドラ』というコミックエッセイを読んだ。ASD である自分が疫病神のように思えて悲しくなった。相手の気持ちが分かるようになりたい。

続編の『アスペルガーとカサンドラ』では、7人の体験が描かれている。そのすべてがカサンドラ視点だからなのか、責められているように感じてしまった。ASD であるパートナーへの対処法が、最終的に「離婚」「別居」「パートナーとして期待しない」とかで希望がない。

ネガティブに考えがちなのと、自分に自信がないのは私の良くないところだ。相手との関係を良くしようと思う気持ちが大事、と前向きでいてもいいんだろうか。本書には体験談として「本人の自覚で症状が半減する」みたいなことも書いてあったから、やっていきたい。

 

私は病院で ASD だと診断されている。人の気持ちが分からないこともある。目の前の相手が怒っているのかどうかすら分からないことがあって、自分が嫌になる。しかし ASD だからといって、それだけで人の気持ちが全然分からない人間だとは思われたくない。

以前の私は、病名をつけてもらうことで、自分の苦手なことを半分自分の責任ではないことにできて楽になれると思っていた。しかしいざ病名がついたらついたで、死ぬまで降ろせない重荷のようにのしかかってきて苦しい。

以前はこんなに苦しかったっけな。過去の記事を「ASD」で検索して読んでみても、よく分からなかった。こういう振り返りたくなったときのために、自分の考えたことを詳細に言語化して残しておくのは大事だな。