10月18日
道を歩いていて前から二人組がやってきたとき、私が近付くことによって相手が不快に感じる度合いがより低いほうに寄って避ける。たとえばそれが小さい子どもとその親だった場合は、親の側に寄ってすれ違う。それは自分があちら側だった場合にそうされたい、つまりこの場合は自分の子どもを守りたい、からだと思う。
私は小さい頃から、他人と接することに対して強い不安を抱いていて、家族もそれをある程度は知ってくれていた。だから家族と一緒にいてどこかに座る、となったときには、私が何も言わずとも、なるべく他人から離れた場所の席を譲られていた。たとえば電車で端の席とその隣が空いていて、他の席にはすべて人が座っていた場合、私を端の席に座らせて、家族は他人と私の間に座ってくれていた。飲食店でも、他人と隣合わせになる可能性がある席には家族が座っていた。とてもありがたいことだった。
その経験があるからか、大人になった今、私も誰かといるときは、相手にはなるべくリラックスできる場所に座ってほしいと思う。二人で歩くときは、なるべく安全で安心できる場所を歩いてほしいと思う。それは私にとって当たり前のことだったのだけれど、どうやらこれは「モテたいという欲によってとられることのある行動」だということを人から聞いて知った。「譲られている」「気を遣わせている」と意識させてしまうのは、一緒にいる相手を不快にさせる可能性がある。その行動が不自然に感じられる場合においては、その行動をしない、という選択をするのも、相手への気遣いになるんじゃないかと思った。
プレゼンするには実績を出してから、だと思うからやっていく。
久々に仕事やめたいマンになっていた。新しいことや環境が苦手だから参っているだけだ、多分。やればできるはずだ。
上司がバリバリ働いていて尊敬する。私だったらあの仕事量に耐えられるだろうか。
10月19日
久しぶりに、バスやタクシー以外で他人の運転する車に乗った。やっぱり車は怖いな… リハビリのつもりで乗ってみたものの、今後もなるべく乗りたくないと思ってしまった。克服できる日は来るんだろうか。
前の職場では自分で車を運転していて、業務で細い山道や崖道を走り回っていた。それなりの運転技術はあったと思うし、運転するのは楽しかった。しかし同僚が崖で車を脱輪させたり、下り坂で大型機械の操作がきかなくなって衝突させて壊したりしているのをそばで見ていて、いつかは自分もやってしまうんじゃないかと怖くなった。
あと、体調不良のときに車を運転したこともトラウマになっている。あのときはたぶん風邪を引いていて、目を軽く閉じるだけで心身が楽になって気持ち良い、という状態だった。それでなんとなく運転中に目を閉じたら、すごく気持ち良くて、運転中にもかかわらず数秒目を閉じる、というのを何回か繰り返してしまった。そのとき自分の危機管理意識の低さに絶望して、こんなスリルを楽しんでいるようではいつか事故を起こすぞ、と怖くなった。おそらく実際はスリルを楽しんでいたわけではなく、ただただ体調が悪かったのだと思うのだけれど、あの体験が悪い意味で忘れられない。私は車を運転しないほうが良いのだと思う。そして、眠くなる作用のある薬を飲んだのなら、絶対に運転してはいけない。
知人が Siri に「元気の出る音楽を流して」と言ったら広瀬香美さんの「Venus Line」が流れた、という話を聞いた。それで興味を持ったから、私も Google アシスタントに対して言ってみたら、美空ひばりさんの「お祭りマンボ」がかかった。たしかに元気が出そうだ。