※『HELLO WORLD』『劇場版 艦これ』のネタバレ注意。
3月12日
映画『HELLO WORLD』を観た。
ファンタジーすぎて先が全然予想できないのが良かった。ただし理解が追いつかなくて感情移入もできなかった。
声は俳優ではなく声優を使ってほしいなあ。悪い意味で声が気になってしまってつらい。
アニメ映画『劇場版 艦これ』を観た。
佐倉綾音さんだらけだった。
加賀と瑞鶴がよく絡んでいたので、気になって関係を調べていたら「加賀の声帯の妖精さん」というワードが出てきて、なんのこっちゃと思っていたら担当声優のことだった。いろいろなジャンルで声優のことを中の人とか魂とか言ってぼかすの、面白いしよく考えるな、と思う。
映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』を観た。
前作までのストーリーをほとんど覚えていないのに、世界観の良さとクオリティの高さで引き込まれた。
『グルミク』で DJ 道四段になった。
「JAGUAR '13」のクリアがなかなかできなかったんだけれど、星4のテンション回復400メンバーで揃えたら、残りライフ1200くらいでクリアできた。ユニット編成って大事だな。親指勢なので、高難易度の曲をプレイすると前腕がだるくなる。
精神的に自由になりたくていろいろと捨てているのだけれど、もう捨てられるものがない。
人生をガラッと変えるにはもっと大胆に捨てる必要がある気がする。今捨てられないと思い込んでいるものに、人生を変えるヒントがあるんじゃないだろうか。
というわけで、この状態からでも毎日1つずつ捨てていこうと思う。モノだけでなく、情報、サービス、人間関係、習慣なんかも含む。個人的には早く自分を捨てたいのだけれど、いかんせん勇気がなくてダメだ。
モノを捨てて人生が変わる人が羨ましい。私は中学生の頃にモノを捨て始めて、そのときに自分というものが少し分かった気がしたし、それは大きな変化だったと思うけれど、それ以降は何も起こらない。「モノを捨てる」という作業によって私が変われることはもうないのかもしれない。
過去の日記に、「アクションゲームで何度もトライできる人を尊敬する。10回くらいミスをするとやる気がなくなってしまう」と書いてあった。今思うと、それは私が音ゲーで何度ミスをしてもリトライできる感覚と同じなのかもしれない。たとえミスをしたとしても、プレイすること自体を楽しめているし、フルコンボができるようになると信じているからリトライし続けられるのだ。
私はアクション操作をあまり楽しめないから、アクションゲームが好きではない。特に純粋なアクションゲームではない作品でのアクションパートは、やりたくないけれど先に進むためにクリアしなければならない障害のようなものだから、憎く感じる。
反射神経を使うという意味では似たようなものなのに、どうして音ゲーは楽しめるんだろう。音楽にノるのが好きなのだろうか。個人的には自分の知らない曲だとあまり楽しくないから、知っている曲のリズムをいつもとは違う方法で味わえるのが楽しいんだろうか。うーん。
誰かに褒められたり感謝されたり好かれたりしても、しばらくするとその記憶を失ってしまって、自分のことも相手のこともどうでもよくなってしまうの、我ながら本当に失礼だよな。
そう考えると、私は他人の青春物語に触れるたびに、「どうして自分にはこれがなかったのか」と思ってしまうのだけれど、実は自分もまあまあ青春していたのかもしれない。どうしてこう、記憶を改竄したり、認知を歪めたりしてしまうんだろうな。自分で自分を不幸にしている。
シェアハウスだと同居人がいるので、夜に物音をたてられないから寝るしかないけれど、一人暮らしだと夜に寝るのが難しいんだよな。翌日に予定があるとか、理由がないと寝る気になれない。昔は夜にニコ生のゲーム配信を観ていたことを思い出した。
寝る気になれないので、YouTube でホロライブの生配信を初めて観てみる。『D4DJ』の Lyrical Lily のみんながハマっていたので、彼女たちと一緒に楽しめているような感覚になれて嬉しい。
人がいるとうっとうしいのに、人がいないと寂しくてソワソワする。どうしたらいいんだ。