10月15日〜10月16日 チンチロリンハイボール、小麦粉と体調不良、弱い自分を出せない

※当記事は2020年12月22日に note からはてなブログに移転しました。

 

 

10月15日

今日は5年前くらいに出会って、最後に会ったのが3年前くらいの人と会ってお茶をした。

その人はとても意識が高い人で、相手にも意識の高さを求める人だ。その人の話を聞くと、長期的に物事を考えているし、着実に前に進んでいて、素直にすごいと思う。

一方で私はこの数年で何かを成し遂げられたのだろうか、と彼と比較せずにはいられない。

私はそもそも生きる気力が薄くて怠惰だし豆腐メンタルだしで、いろんな向き合わないといけないことからきっと逃げている。そして逃げてきた今の道の先のほうには今のところ明るい未来は見えていない。悪い意味で楽観的で人生を舐めているので、私みたいな人間はきっとあとから痛い目にあうのだろう。

成長するだけが人生ではないのだけれど、何か成長している、何か積み重ねられている実感がほしいと思ってしまうんだよな。それはなぜかと考えてみると、未来が見えない、または明るくないことに対する不安から逃れたいのと、人に褒められたいからな気がしてきた。自信を持って生きていきたいのだ。

だけど自信を持って生きていくには、怠惰と豆腐メンタルというのは最悪な組み合わせな気がするから、せめてどちらかひとつはやめたいよな。

新たに人と出会うのもいいけれど、昔の自分を知っている友人と会ってお互いの進捗を話すのもかなり刺激になって良いな。怠惰な自分を動かすためにもちょいちょいやったほうがいい。そして自分に負荷をかけていこう。

 

夜は別の友人と人生初の串カツ田中へ。チンチロリンというのをずっとやってみたかったのだ。

サイコロを2つふってゾロ目が出たら飲み物(酒)が無料、偶数なら半額、奇数なら飲み物2倍量で値段も2倍、というもので、メガハイボールが来てもそれはそれで嬉しいので、何が当たっても嬉しいサービスだ。ただしメガサイズになると割高に感じるが…

2回チンチロリンしてどっちも奇数だった。ハイボールやサワーを飲んだけど、ジョッキは大きいがどれも薄いし氷も多くてかさ増しされているのでいくらでも飲めてしまう。やっぱりコスパは悪いなー。

でもずっとやりたいと思っていたからやれて良かった。

串カツは5品盛りに加えて、もち、たらこ、紅しょうが、カレー玉といった変わり種を食べる。どれも普通に美味しい。

その後2件ハシゴして帰宅。たくさん飲んだ気がするけどあまり酔わなかった。

 

10月16日

冬は重ね着をしないと快適に過ごせないからめんどくさい。夏は上下で一枚ずつ着ればいいから楽で良かった。

 

やっぱり小麦粉を摂取すると体調が悪くなってダメだな。

サッポロ一番塩を1分だけ茹でて食べると美味しい、というのをネットで見たから昼ご飯にやってみたら普通に美味しかった。1分では麺が上手く茹でられなくてかたい部分も残ってしまったから、直径が小さめの鍋で作るといいと思う。1分しか茹でなくても問題なく食べられるんだなー。

で、その後、案の定眠くなって寝てしまった。麺やパンを食べると異常に眠くなって、あと喉もかなり渇くんだよな。謎。だから最近は食べないようにしている。というより、食べる→体調不良、を繰り返して体調不良がほぼ必ず来ることを知ってしまったから基本的に食べたくないと思うようになった。

麺やパンは美味しいけれど、別に食べなくても健康に悪いことはないものだから良かった。たとえば野菜を食べると蕁麻疹が出る、とかになったら生きていくのが大変そうだ。

 

画像1

乳製品が食べられなくなってからアイスを食べたい欲が強くなっていたんだけど、クラシエの Soy っていう豆乳でできたアイスを食べてみてもあんまり感動しなかった。

もしかしたら Soy があんまり美味しくないだけかもしれないけれど、「アイスってこんなもんだったかー。別に食べなくてもいいや」ってなってアイスを食べたい欲が薄れてしまった。

まあでもアイスっぽい食べ物が食べられるのはありがたいことだ。

 

私は日常的に、相手が欲しがっている言葉を想像しながら話すようにしている。

なんだか知らないけれど私は過大評価されることが多くて、自信満々だったりストイックで自分の世界を持っているような生き方だったりを私に求めている人が多いように思う。

実際の私は自分に自信がないし、怠惰だし、豆腐メンタルだし、ブレブレだ。たまにはそういう弱いところを出して楽になりたかったり、ただ単に聞いてもらいたいと思ったりするけれど、相手はそれを求めていない気がするので、そんな気持ちは押し殺すようにしている。まあ弱音やネガティブな話なんて誰も聞きたくないよな。私だって聞きたくない。

お互いを知り尽くしているような間柄だったり、頼っていい相手だったりすると私は弱音を吐くけれど、それ以外では強い自分を作っている。

ものは言いようで、自分の生き方に自信がなくても、「私は今の生き方に自信がある、幸せだ、やりがいがある」みたいな言い方をすると、たいてい「人と違った生き方を選べるすごい人だ」と思ってもらえる。私の口は「(嘘は言っていないけれど言い方だけを)盛る」という方面では達者なのかもしれない。実際は人と違った生き方を選んでいるんじゃなくて、能力が偏っているか乏しすぎるかで人と同じ生き方ができないだけなんだけどな。

弱い自分を出して「こいつはダメ人間だ」と思われて離れていかれるのが怖い。最初から自分を強く見せなきゃ楽なのかもしれないけれど、錯覚資産的な何かで強く見せておくと良い思いができることがあるのでやめられない。どっちの生き方をすれば正解なのか分からない。